第二章 2chとcis
1.2002年12月忘年会
2.ネットトレード黎明期
3.cisとの交流
4.資産推移
5.釣りにかかる
1.2002年12月忘年会
びびりおんは1999年秋に株をはじめ、
(2001年8月の)「2ちゃんねる危機のころからの2chねらー」(2005年2月18日10時11分)
と言うことです。
「最初はモ娘。板から2chにはいった気がする」(2003年9月25日21時52分)
と言うように当時、大人気を誇ったモーニング娘。の板から2chを見るようになりました。
株板を見るようになっても当初は名無しだったのですが、ネット上に出てくるのが2002年12月にcisとuoaが中心になって開いた忘年会オフでした。
びびりおんはこの忘年会に参加し、cisと出会うことになります。
当時cisは長期投資の手法(ファンダメンタルに基づいた割安株投資法)をそのまま短期トレードに使っており、全く勝つことが出来ませんでした。
忘年会で途方に暮れていたcisにびびりおんは言います。
(「稼ぐ人の株投資 億超えの方程式6」)
友人と言うのはびびりおんのことです。
「びびりおんとは電車で一緒に帰った。(中略)僕が吊革につかまりながら「何を買ってるの?」と聞いたら、目線を合わさずに「ダイドードリンコ」って一言。理由を聞いたわけじゃないけど、TOPIXに組み入れられると自動的に上がるから、それが狙いなのはすぐわかった」(cis本P136)
「TOPIXに組み入れられる」とはコバンザメ投資法のことで、当時東証2部だった同社が2003年1月に東証1部に上場することにともないTOPIX連動型投信に組み入れられるため株価が上昇するということです。
びびりおんはこの忘年会後にハンドルネームを名乗ります。
確認できる範囲で最初のハンドルネームでの投稿は
になります。
cisは、びびりおんと友人になり、びびりおんの投資法を勉強することによって勝てるようになっていきます。
びびりおんはそのことに関し、
と言っています。
cisは、
と言っています。cisは、
「ファンダ重視で売買して負けてた俺を値動き重視売買に変更させたきっかけだね」(2008年11月3日14時28分)
と言っています。
cisにとってこのびびりおんとの出会いは人生のターニングポイントであり、
(2002年12月の忘年会に)「行かなければとっくの昔に株の世界から退場していたかもしれない」(cis本P135)
と言っています。
2.ネットトレード黎明期
cisとびびりおんが出会った2002〜03年はまだネットトレード黎明期と言える時代でした。
1999年10月に株の売買手数料が自由化され、インターネットの浸透もあり、ネットトレードが始まります。
びびりおんやcisはその第一世代ともいえる世代です。
まだこの時代は短期トレードの成功事例が存在しないため、模範にすべき本やサイトもありません。
多くの個人トレーダーは、cisがそうであったように、長期投資の手法(ファンダメンタルに基づく割安株投資法)をそのまま短期トレードに使っていました。
さらに、ファンダメンタルを無視して値動きのみで投資するのはギャンブルと言われていました。
cisがこの時代負け続けているにもかかわらず、自分のやり方(長期投資の割安株投資法を用いた短期トレード)が正しいと言い張っていたのは、このような時代背景もありました。
cisは後にこの時代の考え方を「割安銘柄を買えば勝てると思ってた」(2008年2月23日18時01分)と言っています。
そんな中びびりおんは
(株で勝つ秘訣は)「値動き重視」(2004年3月11日)
といち早く主張し、注目を集めていきます。
もちろんびびりおん以外にも同様の主張をした人はいましたが、びびりおんほど結果を出していなかったり、びびりおんほど存在感が無く注目されることがありませんでした。
この時代(2002〜03年)のスタートレーダーはuoaでしたが、uoaは株板では常駐しているスレッドが無く、ある日急に書き込んだかと思うとすぐに去っていくといったふうで、じっくり話を聞く機会がありませんでした。
他にも「F3」や「3000万スレの1」、「エロエロ大王」と言った勝っているコテハンはいましたが、ほとんど場合勝ち組トレーダーは多くを語らないタイプの人でした(びびりおんも多弁な方ではないが、聞かれたことには答える性格だった)。
びびりおんは値動き重視のトレードで次々利益を上げ、短期トレードにも関わらず割安株投資をしていた層を駆逐していきました。
また投資法だけでなく、びびりおんは既存の先入観にとらわれない考えを持っており、それは多くの個人トレーダーに影響を与えていきました。
その最たるものが新興市場でのトレードでした。
当時から株式評論家の多くは、個人トレーダーは倒産の心配のない東証一部の大型株をトレードしなければならないと言い、多くの個人トレーダーはそれを大真面目に信じていました。
そんな中びびりおんは
「値動きが単純だから」(2005年2月17日10時31分)
と言うシンプルな理由から新興市場でトレードをメインに行っていきます。
新興ショットガンについても、長期投資のポートフォリオならともかく、短期トレードで一日10銘柄以上トレードするのは画期的でした。
短期トレードでそれだけの銘柄の業績を知るの至難の業だからです。
当時は短期トレードでも経済や決算書の勉強をしなければ勝てないと思われていたのです。
と言っています。これらの発言は当時は不勉強な人間の自己弁護と取られかねない発言でした。
テクニカルについても多くの個人トレーダーとは違う考えを持っていました。
びびりおんは自身のトレードはテクニカルと言いますが、通常テクニカルと言えばRSIや一目均衡表と言った指標を指すことが多いですが、
と言っており、
複雑な指標ほど使えないと言っています。
確定しない限り含み損は損ではないという考えに対しても
と言っています。
株で勝つためには難しいことしなければいけないと言う先入観に対しても
と言っています。
当時は専業トレーダーと言う存在はネット上でも珍しいものでしたが、
と言っています。
トレードだけではありません。
当時は外資系の証券会社は完璧に値動きが読めていると思われ崇拝されていましたが、
と言っています。これらは当時は勇気のいる大胆不敵な発言でした。
景気指標から株価を読もうとする人は今も昔もいますが、
と言っており、株価から景気を読むべきと言っています。
このようにびびりおんは従来の考えにとらわれず、独自の考え方を持っており、それはcisをはじめ多くのトレーダーに影響を与えました。
神出鬼没だったuoaやBNF、人をはぐらかしたりからかったりするのが好きなcisと違って、言葉は少ないながらも丁寧に答えるびびりおんはまだ黎明期だったネットトレーダーの投資スタンスに大きな影響を与えていきます。
前述の忘年会の後、uoaはびびりおんの印象について
と言っています。
おそらくびびりおんの既存の考えにとらわれない考え方を指して言っているのではないでしょうか。
3.cisとの交流
2002年12月の忘年会をきっかけにcisとの友人関係が始まり、2ch上でのレスだけでなく、チャットや麻雀でさかんに交流します。
cisはびびりおんのことを
と認め、びびりおんの手法を吸収していきます。
当初はびびりおんのことを持ち上げていたのですが、人をからかったり、おちょくったりするのが大好きなcisがいつまでも謙虚なわけありません。
cisは2003年の夏からフォース(年金やファンドの継続的な買い)に乗る投資法を発見し、秋にはBNFやuoaからも投資法を吸収して、びびりおんから得た値動き重視の投資法をさらに進化させていきます。
そんな中でびびりおんに対する態度も
すっかり傲慢になっていきます。
極めつけはこの大暴言。
びびりおんはcisの大暴言について
と言っています。
本来なら絶交になってもおかしくないのだが、びびりおんも就職経験がなく、学生時代も
「大学卒業するまでの20年間以上、ほとんど学校と家と塾を往復するだけの毎日だった。それ以外で行くところといえばせいぜい千駄ヶ谷の将棋会館ぐらい」(2004年11月25日12時10分)
というもので、さして交友関係が広くなく、
「顎に株を教えてなかったとしたら、俺も人脈の広がりがなかったから厳しかった」(2005年1月22日17時21分)
と言っており、渋々(?)友人関係を続けることになります。
ただ温厚な人物で知られるびびりおんも
(cisのことを)「殴ってやろうと思ったことは何度かある」(2005年2月18日15時50分)
ということです。
4.資産推移
びびりおんの2004年5月末までの資産推移です。
2003年6月27日の資産ランキングです
(「今日の勝ち負けを報告するスレ」に資産を報告している人のみ。uoaはすでに1億円以上持っており、2chにもまだいましたが報告してないので除外されています)。
cisは2003年2月以降びびりおんの手法を吸収し、向上していましたが、資産はまだ360万円です。
忘年会オフに参加し、その後びびりおん同様、コテハンを名乗ったすくる〜じはようやく勝ちだした頃です。
この当時びびりおんはすくる〜じの7倍の資産を持っていました(この発言の時点でびびりおんは約2000万円、すくる〜じは約300万円)。
当時の主力コテハン紹介です。
「生涯負組21歳」は資産を証明するためオフ会を企画しますが、直前になって突然中止し2chの投稿も止めたためバーチャ(嘘)扱いされていました。
真相は分かりません。
スイング中心のびびりおんは生涯負組21歳(当初は20歳だった)からデイトレの手法を教わっていました。
バーチャ(嘘)だったというのが定まりつつあっても、
と言っています。
有名コテハンのランクです。
cisは資産は上向きでしたが、まだまぐれだと思われていました。
2003年8月にcisはUFJ銀行の暴騰に乗り、資産を爆発的に増やし始めます。
一方、uoaは突然HPを閉鎖し、姿を消します。
2ch株板は時代の転換点に差し掛かっていました。
2003年11月4日には、びびりおんは、cis、すくる〜じとともに千疋屋フルーツパーラーでオフ会を開き、2億円先生ことBNFと出会います。
オフ会から帰って来てcisは
と言っています(25才4人というのはびびりおん、BNF、cis、すくる〜じのこと。びびりおんとBNFは25才だがcisとすくる〜じは24才)。
忘年会オフとフルーツパーラーオフの両方に出ているすくる〜じは、2億円先生(BNF)とuoaは「別格」と言っています。
この時のオフ会はネットトレード黎明期の主役たちが一堂に集まったことから、“伝説のフルーツパーラーオフ”として後々まで語り草になります。
びびりおんは、cisには開眼するきっかけを与え、BNFにはネット上で知られるきっかけを与えたことになります。
BNFは2004年1月18日にコテハンを付けて登場します。
報告スレの資産ランキングです。
2003年5月からの上昇トレンドに乗り、大きく資産を増やしている人が目立ちます。
cisは頻繁にバーチャの振りをしたりするので集計人に嫌われておりランクから除外されています。
この時のcisの資産です。
びびりおんとBNFの報告です。
奇しくもBNFが3億円に到達したこの日はBNFの26歳の誕生日でした。
BNFが3億円に到達した一週間後の2004年3月11日、びびりおんは1億円に到達します。
1999年秋にトレードを始めてから4年半での偉業達成でした。
冒頭に書きましたようにこの頃からびびりおんは「新興の魔術師」と異名をとるようになってきます。
5.釣りにかかる
びびりおんは交友関係を広げるため、cisとともにメールアドレスを公開し、多くの人と交流していました。
その中でびびりおんとcisに会いたいと言った女性に真剣に返信したところ、実は女性のふりをした釣り(イタズラ)で某サイトにその内容が晒されてしまいます(某サイトがどこのサイトか不明)。
●●というのはcisのことです。
この手の釣りや捏造はネット、特に2chでは珍しくありませんが、cisは
と言い、それ以上にびびりおんはショックを受けており、
と言い残し、4か月ほど2chを休むことになります。
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